家族はぼくにとって安心できる場所ではなかった
大人になって、なぜかは分からないけど、小さい頃の原体験みたいなものを聞かれることが増えた。
最近の流行りなのかな?
正直ぼくは、原体験が今の行動や嗜好に結びついてる的な理論には、あんまりしっくりきていない。
でも、確かに、影響はゼロではないだろうから、整理しなければならないと思っていたので、少しずつ整理していく。
まあまずは家の話だろうな〜ということで、家族の話題。
ぼくにとっては、家族は昔も今も安心できる場所ではない。
話してて楽しいと思うことも残念ながらあまりない。
その理由を整理したい。
①親父がキライ
今思えば、彼は決して極悪人ではない。
世に聞く、ギャンブルで家財を全て溶かしたり、母子に暴力を振るった上に女を作って逃げたりする、ファンキーでロックな親父の類ではない。
だが、まあ実際怖かった。
まずほとんど家にいない(正確にはぼくが起きてる時間には)。
たまの休日に家族で出かける時も、怒ってばかりで優しくしてもらった記憶は特にない。
幼稚園で父の日のプレゼントに、父親が何かをしている絵を書かなければならなかったが、何かをしている彼を見たことがなかったので、顔だけ書けば済むように「鏡を見ているパパ」を書いたのはとてもいい思い出だ。
そして何より、彼の哲学にぼくは賛成できなかった。
元広告の営業マンで、その後自分の不動産屋を立ち上げることになる彼の口癖は、「1番でなければ意味がない」だった。
(明確な目標を立ててひたすらに頑張る系の仕事で成功しちゃった人は注意してほしい。)
まぁ中途半端になんでもできてしまったぼくも悪いのだが(ドヤッ)。
頑張れば1番にはなれた(ドヤッ その2)が、ぼくはとても疑問に思っていた。
ぼくの好きな本の物語たちは、1番になれなかったモノたちに寄り添っている。
この世には、弱い人に寄り添う人々がいて、寄り添う物語がある。
そして、それらはとても儚く、美しい。
本当に一番にならなければ意味がないのだろうか?
この問題は今もぼくの心の奥を締め付けている。
中途半端に勉強ができたぼくは、何も考えずに努力のまねごとをしているうちに、1番の大学に入ってしまった。
勉強は大好きだったし、やはり競争に勝てることは嬉しく、救われた気がしたのだろう。
1番にならなければいけないということには疑問を持ちつつも、その気持ちを押し殺して、目に見える結果を追い求めた。
だが、その過程で失ったものも多かった。
何を失ったかは、本旨から外れるので今回は語らない。
だが今では、1番にならなければないと無理に自分に言い聞かせていた頃に失ったものや見逃したものは、本当はとても大事なものだったのではないかと思っている。
②話が合わない
話していてもシンプルにつまらない。
彼らは本を読まなくてテレビをよく見るが、ぼくは本は大好きでテレビにはあまり興味がない。
ぼくは本の話をしたいのに、親父は当然ながら、母親も興味がないので聞いてはくれなかった。
今思えば、彼らも人間なので、趣味嗜好が合わないことは仕方がない。
だが少なくとも子どもの頃はとても孤独だった。
③話が食い違っている
これは、非論理的だとかそういうことではない。
多少大きくなってからはそういうイラつきもあったが、小さい頃はそんなことは思わなかっただろう(多分)。
ぼくが悲しかったのは、この前と今日で発言が食い違ってることや、ぼくの言葉を覚えていないことだった。
子どもの頃のぼくは、異常に言葉に執着があり、母の言葉は一語一句違わず覚えていた。
だが、母は数日前のぼくとの会話など全部は覚えてないので、少しだけ会話の記憶違いをしたりする。
その結果、例えば約束の内容が少し違ったり、ズレたことを言うことがある。
普通なら「違うよ〜」で済むのかもしれないが、ぼくにとっては、これが無性に寂しかったのを覚えている。
ママは忙しい。
これも今思えば仕方がないことだが、そんな些細なことがトラウマになる子もいるということかもしれない。
余談だが、今でもこの種の孤独を感じることはある。
人の顔と名前を覚える時だ。
ぼくは人の顔と名前を忘れない。
合コンで一度会った人でさえ、ちゃんと会話をしていればほとんど覚えている。
(あんまり話さなかった人はごめんなさい。パーティー的なので一瞬喋った人もさすがに覚えてないからね!)
だが、多くの人は一度では顔と名前を覚えてくれないので、とても悲しい。
相手に合わせるためにぼくも忘れたふりをする。
この感覚は、子どもの頃の家での孤独感に近いなと思って懐かしい気持ちがする 笑
以上のようなことから、ぼくにとって家は全く安心できるものでも楽しいものでもなかった。