うえにょっき

噺はまくらが一番大事

是枝裕和『歩くような速さで』

あんまり映画には詳しくない。

ぼくも「1年間に300本映画を観ました」みたいな文化的ドヤ顔をしてみたいが、そこまでストイックにはなれない。

かといえ、嫌いなわけでは決してなく、どちらかというと好きだと思う。

 

是枝裕和の『万引き家族』を観て、面白いなぁと思った。

その後、立川談春との対談動画で話す彼を初めて見て、面白いおっさんだなぁと思ったので、彼の書いたエッセイや本を読むことにした。

 

 

 

ぼくは、ハッピーエンドの映画が嫌いだ。

すべての謎が解かれ、キレイにきっぱり終わる、そんな映画を観ると、考え込んでしまう。

なんでそんなに単純にする必要があるのか。

世の中はそんなにキレイなものなのか。

 

 

ぼくがこの世で一番嫌いなのは、子どもの前で信号無視した大人にキレる親だ。(注:信号無視は違法です。絶対にやめましょう。)

「ちょっと、子どもの前ですヨッ!?」

ハッピーエンドの映画を観た時のイラつきは、そんな親を見た時の違和感に近い。

なぜ子どもに美しい世界だけを見せなければならないのか。

 

どんなに隠しても、社会にはズルしたり、人を騙したり傷つけたりする人間が必ずいる。

それを見て、「正直者は馬鹿をみる」と自分もズルをするのか、それでも正しく生きようとするのかは、本人が自分で考えればいいことだ。

 

だからぼくは、赤信号の前で礼儀正しく信号待ちをしているクソガキ(失礼、お子様!)を見ると、その子の目を見つめながら信号無視してやることに決めている。

大人はこんなに汚えんだぞと思い知らせてやるために。

ズルする人間を横目に、正しいことをしなければならないと自分を戒める瞬間なんて、人生には幾らでもあるから。

(嘘です捕まえないで。)

 

 

 

是枝裕和の映画はほとんどが、完璧なハッピーエンドでは終わらない。

それは、彼が物語を分かりやすく描こうとは決してしないからだと知った。

彼は、複雑な世界を複雑なままに描こうとしているらしい(本人曰く)。

ぼくは映画の表現とか演出とかに一家言のない人間なので、ごちゃごちゃ語ることはしない。

映画監督なる大先生を批評することもない。

 

でも、彼のそのスタンスがああいう映画たちに繋がってるのだなぁと思うと、ストンと腑に落ちた。

 

天地有情。

僕が作品を生んでいるのではない。作品も感情もあらかじめ世界に内包されていて、僕はそれを拾い集めて手のひらですくい、「ほら」と見せているに過ぎない。

 (世界『歩くような速さで』)

ヒーローが存在しない等身大の人間だけが暮らす薄汚れた世界が、ふと美しく見えるそんな瞬間を描きたい。その為に必要なのは歯を食いしばることではなく、つい他者を求めてしまう弱さではないのか。欠如は欠点ではない。可能性なのだ。そう考えると世界は不完全のまま、不完全であるからこそ豊かだと、そう思えてくるはずだ。

(欠如『歩くような速さで』)

 

 

彼の言葉たちは、雨上がりの午後に耳を傾けるのにピッタリだ。

 

 

どんな天才も、老いればバランスを失うのが世の常である。

世界の是枝裕和も、「是枝も説教臭くなっていかんなぁ」と言われる日がいつか来るかも知れない。

もちろん、これからも美しい映画を作り続けてほしいが、

ぼくは、そんな風に色褪せて、世の中から忘れ去られていく、是枝裕和も見てみたい気がする。

 

 

もうすぐ夏ですねー