うえにょっき

噺はまくらが一番大事

ぼくは才能に囲まれて生きていたい

ぼくは、この人すごいな、と思う人が大好きだ。

 

 

よくよく考えて見ると、小さい頃からそうだった。

 

一番はじめに、ぼくが愛した才能は、キムタクだった。

もちろんカッコ良さに憧れたというのはある。

 

だが、それ以上に、

彼の表情、話し方、立ち居振る舞い、その存在すべてが、

木村拓哉という天才を表現するためだけに、惜しみなく注がれていた。

それを見るのがただ好きだった。

 

 

「絵になる」という言葉があるが、四六時中「絵になる」おっさんは早々いない。

(ぼくが物心ついた頃には、彼はすでにおっさんだった。)

小学生の頃やっていた、『GOOD LUCK!!』というドラマでは、柴咲コウの美しさそっちのけで、彼の動きにばかり見入ってた。

 

 

椎名林檎も同じ様に好きだ。

(分かりやすいように、芸能人ばかりを挙げてみている。)

正直いうと、音楽にあまり興味がないので、彼女の歌にもそんなに詳しくはない。

だが、ライブDVDを見るのは大好きだ。

 

緻密に計算し尽くされた、

表情、足、腕から指先にかけてまでの動き。

 

カメラの位置、スポットライトの当たる角度、顔にかかる陰影、

そのすべてを考慮に入れた演出。

 

彼女の存在する空間すべてが、彼女の才能のために奉仕をしている。

彼女にまとわりつく空気の粒子の一粒一粒が、彼女の才能を讃えている。

 

才能の眩いまでの輝き。

今でもその輝き見るために、彼女の動画をただただ見つめている時がある。

 

 

だから、

男子校で、残念ながら男ばかりに囲まれて育った中高時代も、ぼくは幸せだった。

なぜなら、彼らは天才だったから。

彼らは、頭が抜群に良かった。

 

頭がよくても人間ができてないとダメとか、運動神経は特別良くないとか、まあそんなことはこの際どうでも良い。

人の目を見て話せない奴や、風呂に入らない奴がいるとか、マナーが悪くて街で白い目で見られるとか、そんなことは、ぼくにとってはとても些細なことだった。

 

 

 

そして、今もぼくは類稀なる才能に囲まれている。

 

ぼくは、身の回りのすべての才能に成功して欲しいと心の底から願っている。

 

だが、正確にいえば、ぼくは、周囲の才能ばかりを輝かせたいわけではない。

 

 

身の回りの天才たちにも、どこか遠くの街にいる天才たちにも、

ぼくの見られない景色を見て欲しい。

だから、ぼくの欲望は、天才に囲まれて生きたいだけにはとどまらない。

 

 

彼らが見た景色を共有して欲しいなんて贅沢は言わない。

だが、一つでも多くの才能が、世界のどこかで輝いていて欲しい。

 

ぼくのおかげで、彼らが成功することなんて望まないから、

ぼくの知らないところで、一つでも埋もれてしまったかもしれない才能が、活躍の場を見つけられたら。

 

 

あわよくば、彼らの輝く横顔をチラリとでも見られたら。

なんとなく感じられれば、ぼくはそれでいい。

 

 

ただ、

才能は、決して一人では花開かない。

そのことは歴史が証明している。

どんな天才も、一人で天才になったのでは決してない。

 

 

誰からいい影響を与えられ、1つでも多くの才能が花開く世界が作れたら。

そのために、ぼくが少しでも何かできたら。

そんな贅沢な夢をぼくは持っている。