うえにょっき

噺はまくらが一番大事

いい人ほどマウントを取られがちであるという不都合な真実

とても中立的でいい人というのがいる。

ぼくは、彼or彼女が大好きだ。

ぼくのような、バカみたいに偏った人間ばかりでは、会話が成り立たない。

彼らのおかげで、今日も世界は平和なのである。

 

 

そんな彼らが、世の中に対して、ある「共通の苦情」を述べるのを見て、ぼくはとても悲しい気持ちになる。

 

 

その苦情とはこうだ。

「すごく見下してくる人がいるんだけど……。私なにか悪いことしたのかな?」

 

 

それはあかんで。

ぼくの心の癒し、中立お兄さんorお姉さんが困っている!

なんとかお助けしなければ!!

 

 

だが、よくよく考えてみると、

ぼくには見下された経験があまりない。

経験はあるのかもしれないが、あまり記憶にない。

 

 

ぼくが誰よりも優れた人間だから?

おれ様は神なのか?

 

 

まさかそんなことはない。

ぼくの周りには、ぼくより優れた人間なんて掃いて捨てるほどたくさんいる。ちりやほこりのようにたくさん。

 

 

そこで、ぼくと中立お兄さんorお姉さんの経験の差の理由を解明すれば、彼らを助けることができるかもしれないと考えた。

 

 

 

そして、悲しい真実に気がついてしまったのだ。

 

 

彼らを救うことは、決してできないのである。

 

 

なぜなら、彼らは、

中立的であるがゆえに、見下される、

逆に言えば、

見下されないと言うことは、中立的ではない

という「構造」に囚われているからだ。

 

 

どういうことか。

詳しく説明する前に、中立的でないぼくが、マウントを取られない理由を説明した方がわかりやすいだろう。

 

ぼくは、ある集団に属するとき、必ずその集団の中では唯一で、かつ自分の好きなポジションを取る。

いつからなのかは分からない。気づいた時にはそうだった。

 

その結果何が起こるか。

ぼくは、誰かと比較をされにくいのである。

なぜなら、ぼくは、その集団の誰とも違う土俵で戦っているのだから。

 

 

比較されて、ディスられているのかもしれないが、ぼくにとってそれは、見当はずれもいいところだ。

だって、その土俵の上にぼくはいないのだから。

ぼくをディスる彼らを見て、ぼくは、

「おっ、いいツッパリしてるやんけ。あの土俵で戦ったら負けてたなー」

と思うだけだ。

マウントを取られたということを気にしていないから、覚えてすらいない。

 

 

 

逆に、中立お兄さんorお姉さんどうか。

彼らは、中立的であるがゆえに、誰とでも比較対象になり得る。

そして、どれだけ卓越した能力を持った中立マンでも、ありとあらゆる能力で全ての人に勝つことはできない。

 

人と人はいつも比べあっているので、

ある一定の確率で、中立的なAくんが、マウントおじさんBくんに劣っている能力にフォーカスが当たる。

そして、さらに一定の確率で、その能力のためにマウントに晒されることになる。

そこまで悪意はなくとも、「あなたのためを思って」という免罪符の元に、説教されたり諭されたりする。

 

 

中立的な人間という善良な市民は、その度にバカ真面目に傷ついたり、反省をしている。

 

でも、彼らがどれだけ努力をしても、彼らが比較→ディスり地獄から逃れることはできない。

なぜなら、彼らは自ら進んで、ポジションを取らない=万人と比較されるというポジションを選んでいるからだ。

 

 

ぼくは、とても弱い人間だ。

誰とも比較なんてされたくない。

ぼくは、ぼくの価値観の中で、自分を世界一の天才だと思って生きていたい。

(極論を言うなれば、だぞっ笑)

 

 

いつからかは覚えていないが、

ぼくは、比較を避け、精神的な安定を手に入れるため、ポジションを取ることを本能的に身につけたのに違いない。

 

ぼくは別に、みんながポジションを取るべきだとか、自分の考えを押し付けようとしているわけではない。

それは困る。

ぼくは中立的な人々を見るたびに、いい人だなーと思って癒されているのだから。

世界平和は、ぼくのような人間の肩にではなく、彼らのような善良な市民の肩にかかっている。

 

だから、中立お兄さんとお姉さんには、これからもイバラの道を生きて欲しいと切に願っている。

ぼくの仕事は、彼らにエールを送り続けることである。

是枝裕和『歩くような速さで』

あんまり映画には詳しくない。

ぼくも「1年間に300本映画を観ました」みたいな文化的ドヤ顔をしてみたいが、そこまでストイックにはなれない。

かといえ、嫌いなわけでは決してなく、どちらかというと好きだと思う。

 

是枝裕和の『万引き家族』を観て、面白いなぁと思った。

その後、立川談春との対談動画で話す彼を初めて見て、面白いおっさんだなぁと思ったので、彼の書いたエッセイや本を読むことにした。

 

 

 

ぼくは、ハッピーエンドの映画が嫌いだ。

すべての謎が解かれ、キレイにきっぱり終わる、そんな映画を観ると、考え込んでしまう。

なんでそんなに単純にする必要があるのか。

世の中はそんなにキレイなものなのか。

 

 

ぼくがこの世で一番嫌いなのは、子どもの前で信号無視した大人にキレる親だ。(注:信号無視は違法です。絶対にやめましょう。)

「ちょっと、子どもの前ですヨッ!?」

ハッピーエンドの映画を観た時のイラつきは、そんな親を見た時の違和感に近い。

なぜ子どもに美しい世界だけを見せなければならないのか。

 

どんなに隠しても、社会にはズルしたり、人を騙したり傷つけたりする人間が必ずいる。

それを見て、「正直者は馬鹿をみる」と自分もズルをするのか、それでも正しく生きようとするのかは、本人が自分で考えればいいことだ。

 

だからぼくは、赤信号の前で礼儀正しく信号待ちをしているクソガキ(失礼、お子様!)を見ると、その子の目を見つめながら信号無視してやることに決めている。

大人はこんなに汚えんだぞと思い知らせてやるために。

ズルする人間を横目に、正しいことをしなければならないと自分を戒める瞬間なんて、人生には幾らでもあるから。

(嘘です捕まえないで。)

 

 

 

是枝裕和の映画はほとんどが、完璧なハッピーエンドでは終わらない。

それは、彼が物語を分かりやすく描こうとは決してしないからだと知った。

彼は、複雑な世界を複雑なままに描こうとしているらしい(本人曰く)。

ぼくは映画の表現とか演出とかに一家言のない人間なので、ごちゃごちゃ語ることはしない。

映画監督なる大先生を批評することもない。

 

でも、彼のそのスタンスがああいう映画たちに繋がってるのだなぁと思うと、ストンと腑に落ちた。

 

天地有情。

僕が作品を生んでいるのではない。作品も感情もあらかじめ世界に内包されていて、僕はそれを拾い集めて手のひらですくい、「ほら」と見せているに過ぎない。

 (世界『歩くような速さで』)

ヒーローが存在しない等身大の人間だけが暮らす薄汚れた世界が、ふと美しく見えるそんな瞬間を描きたい。その為に必要なのは歯を食いしばることではなく、つい他者を求めてしまう弱さではないのか。欠如は欠点ではない。可能性なのだ。そう考えると世界は不完全のまま、不完全であるからこそ豊かだと、そう思えてくるはずだ。

(欠如『歩くような速さで』)

 

 

彼の言葉たちは、雨上がりの午後に耳を傾けるのにピッタリだ。

 

 

どんな天才も、老いればバランスを失うのが世の常である。

世界の是枝裕和も、「是枝も説教臭くなっていかんなぁ」と言われる日がいつか来るかも知れない。

もちろん、これからも美しい映画を作り続けてほしいが、

ぼくは、そんな風に色褪せて、世の中から忘れ去られていく、是枝裕和も見てみたい気がする。

 

 

もうすぐ夏ですねー

万引き家族感想 ※ネタバレ注意

・松岡茉優カワイイ

 

・徐々に徐々に、家族の抱える謎が明らかになっていくのが、見るものを飽きさせない

 

・いてもいいと思えるためには、役割があった方がいいっていうのは、血が繋がらないからこその感覚かもしれない
・しょうたが子どもながらに、その感覚を理解してるのが面白かった。自分も感じてるのかも。
・そういうところから逆に、血が繋がってないからこその気まずくなさも生まれてるのかもしれない


・子供たちの中でも、歳を取ってるお姉ちゃんが一番家族にこだわってて、ちっちゃい子たちはそうでもないのが面白かった。大人になった方が居場所を求めるのかもしれない。お父さんとお母さんがニセモノの家族を作ったのも同じかも。

・お姉ちゃんは、おばあちゃんに引き取られたことで、自分が必要とされてるっていう、実の家族では得られなかった感覚を得たんだろうな。
・おばあちゃんは、お姉ちゃんの実の家族にお金をたかってたけど、使ってないわけだからお金が欲しかったわけじゃないんだろう。お姉ちゃんのためにむしり取った慰謝料みたいなものだったんだろうと勝手に想像。

 


・おばあちゃんが死んだ時の、大人たちのあっけらかんとした、様子が面白かった。しょうがないよみたいな。まぁ死でもなんでも慣れだなぁと


・お姉ちゃんが実の妹の名前を源氏名に使ってるのが面白かった。意地悪さと憧れが同居している。


・しょうたの自我の目覚めが面白かった。頭がいい子だった。疑問を持って考えることができる。最後の別れを覚悟した様も、大人だった。


・名前・呼び方って大事なんだなぁ。まさに名前・呼び方が世界の切り方を変えるってことだなぁと。
・しょうたは、自分の実の親も自分が連れて来られた経緯も覚えてないのに、お父さんとお母さんをおじさん、おばさんって呼ぶのは何故だろうか。

古今亭志ん朝 落語界のプリンス

歴史上最も偉大な落語家は誰かと聞かれたら、

ぼくは迷わず故・古今亭志ん朝だと答えるだろう。

古今亭志ん朝。本名美濃部強次。

 

 

その芸風は、華麗にして優美。

それでいて、素朴で端正。

小気味良いリズムで流麗に駆り出される噺には、一切の無駄がない。

 

立川談志をして、

「もし金を払って他人の芸を聞くとしたら、寄席芸では志ん朝しかいない」

とまで言わしめた孤高の天才落語家、古今亭志ん朝。

 

今回は、そんな男の素顔に迫ってみたい。

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古今亭志ん朝は、1938年に、

戦後最大の落語家の1人と称された古今亭志ん生の次男として生まれた。

兄は金原亭馬生(中尾彬の妻・池波志乃の父)。

正真正銘の落語界のプリンスである。

 

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(向かって左から、兄・馬生、父・志ん生、志ん朝) 

落語の歴史:広がる口演の場|大衆芸能編・寄席|文化デジタルライブラリー

 

 

その才能は、若い頃からずば抜けており、

父・古今亭志ん生に入門してから、5年後の25歳の時には36人抜きという異例のスピードで真打に昇進している。

前座から二ツ目を経て、真打になるには、普通なら10年はかかる。

先輩後輩、兄弟弟子という上下関係を重んじる芸の世界で、志ん朝の真打ち昇進はまさに"事件"だった。

 

この時抜かれた"先輩"たちの中には、立川談志や5代目三遊亭圓楽(今の6代目円楽の師匠)がいる。

落語界を震撼させたこの"事件"が、当時の若手落語家たちを奮起させ、昭和後期の落語黄金時代を作り上げたとさえ言われている。

彼らの世代の活躍によって、落語やお笑いは劇場を飛び出してテレビで見るものになった。

 

 

だが、志ん朝は噺家になりたくてなったわけではなかった。

父・志ん生に強く説得されて仕方なく噺家になったようだ。

そのことを、志ん朝自身も自虐ネタにしている。

 

例えば、子別れ・下のまくらでは、

 

だいたいこの噺家になるというのは、昔から道楽者という風に相場が決まっていたそうですな。

まあ、近頃はそうとは限りませんで、

親が噺家だからしょうがないからなっちゃったとか、

あるいは、大学を卒業して、普通の会社に勤めるのは面白くないから、じゃあ噺家にでもなろうなんという、そういうような噺家が多くなりまして……

 

伝説と謳われた古今亭志ん生を持ったプレッシャーもあったのだろう。

本人も複雑な気持ちを抱えていたに違いない。

 

 

 

父・志ん生は、まさに道楽者、破天荒で知られた落語家だった。

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酔っ払って高座に上がる、噺の途中で突然居眠りを始める、などなど、

逸話をあげれば枚挙に暇がない。

それでも、客は大悦びし、そんな志ん生を見たくて寄席に詰めかけたという。

 

 

アニメ・昭和元禄落語心中の2代目助六のモデルになった1人だと言われているように、あまりの素行の悪さに何度も落語家を辞めさせられかけている。

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(遊びすぎて八雲に怒られる2代目助六。彼は後に師匠と対立して破門されることになる。)

 

 

若い頃は全く金がなかった志ん生だが、それでも道楽をやめられず、

女房の着物を全部質入れして酒を飲んだ、

借金取りから逃げるために十数回も改名した

などというエピソードも残っている。

 

 

だが、落語をやめて失意のままに死んでいった2代目助六とは違い、

志ん生は何度身を崩しても蘇り、落語の神様になった。

 

 

 

 

2017年にNHKのアナザーストーリーで放送された古今亭志ん朝特集では、

志ん朝が父・志ん生を語った貴重な映像が紹介されている。

(非常に面白いので、是非全部見て欲しい。インタビューは48:30ぐらいから)

 

 

www.nhk.or.jp

 

 

 

自分は、父のようにはなれない。

父とは違う芸を。

 

 

若き日の志ん朝は、父と並び評された昭和の大名人・8代目桂文楽に傾倒した。

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黒門町(文楽)と日暮里(志ん生)は、まさに戦後落語界の両雄。

 (落語界では、大師匠を住んでる場所で呼ぶ。志ん朝は矢来町。

人を指す時に方向や場所で呼ぶのは、日本語独特の発想だろう。

例えば、天皇を指す御門や陛下も場所の名前。)

 

 

文楽はまさに完璧主義者。

志ん生のようなその場限りの芸ではなく、細部までこだわり緻密に作り込まれた話芸が文楽の特徴だった。

文楽の完璧主義は、落語家の中では今でも語り草だ。

晩年、セリフを忘れてしまって高座を途中で降りた文楽は、その後2度と高座に上がることはなかった。

 

 

志ん朝は、父からはほとんど落語を学ぶことはなかったようだ。

志ん生本人に「他所で勝手に勉強しろ」と言われたらしい。

 

 

その言葉通り、志ん朝は文楽のように細部までこだわり抜いた話芸を身に付けて行く。

それが、落語ファンから志ん朝が正統派、王道と呼ばれる所以だ。

 

 

 

だが、志ん朝は、大師匠の真似をするだけでは終わらなかった。

なんといっても、志ん朝の話芸の特長の1つに、そのテンポとキレのよさがある。

聴くものに圧倒的な爽快感と高揚感を与える。

唄うようなリズムで、侍がズバッズバッと次々に敵を切り倒すように高速で噺が進む。

今の落語や漫才に引き継がれるしゃべくり話芸の原点である。

 

www.youtube.com

(音声だけ。テンポが良いことで有名な噺その1「たがや」)

 

www.youtube.com

(音声だけ。テンポが良いことで有名な噺その2「大工調べ」。The 江戸っ子の啖呵。)

 

 

 

 話すのが早いことが、テンポがいいことではもちろんない。

 

志ん朝の落語には、俳句や水墨画のような、侘び寂びの美学が光っている。

声の調子・抑揚、言葉のつなぎ方から間の取り方まで、
全くのムダがなく、その全てが美しい。

志ん朝の落語は、日本語とはかくも美しいものなのかと感じさせてくれる。

 

 

 

 

志ん朝が高座に上がると、そこには江戸の風が吹く。

町人を演じれば江戸の町の喧騒が聞こえ、魚屋を演じれば浜の潮風の匂いがする。

 

 

 

緻密さ、繊細さ、侘び寂び、酔狂、豪胆さ、

それらすべてが絶妙なバランスで1人の人間の中で合体した奇跡、

それが3代目古今亭志ん朝だった。

 

 

彼の影響力はまさに絶大だ。

終生のライバル・立川談志は、志ん朝にできない落語をするために、あの破天荒で型破りなスタイルを身につけたのだと言われる。

 

www.youtube.com

 

談志の落語は映画的だ。

今のシーンが気に入らないからと言って、突然巻き戻して別のカットを入れて再開したり、シーンごとに全く別の演目が混ざったりする。

 

 

正統派で頂点を極めた志ん朝がいたからこそ、

当時の天才たちは、自分だけのスタイルを模索し、作り上げることができたのだろう。

早い話が、噺の単純な上手さでは志ん朝には勝てないと諦めたのだ。

その意味で、志ん朝は百鬼夜行の落語戦国時代を作ったとさえ、ぼくは思っている。

 

 

 

立川談志は、志ん朝が亡くなったときにこんな言葉を残した。

 

綺麗な芸を残して見事に死んだ。結構でしたよ。
古今亭志ん朝、本名、美濃部強次。

 

 

 

芸人・談志は、志ん朝の完璧なバランスがいかに脆く、移ろいやすいものなのかを知っていたのだろう。

老いれば、バランスは崩れる。

どんな天才も、作り上げたバランスを保ち続けることはできない。

道を極めたものは、いずれ自分の技を見失い、道を踏み外すのが世の常だ。

 

 

それでもぼくは、老いた志ん朝を見たかった。

老いてくたびれた志ん朝はまたいい味を出してくれたと思うからだ。

 

 

志ん朝の死の数ヶ月前、談志は、志ん朝に志ん生を襲名することを納得させている。

志ん生の死後、志ん生を継げと周囲に何度言われても、

志ん朝は頑として首を縦には振らなかったのだという。

だが、最後には談志に説得され、志ん生を襲名することを決意をしたのだ。

 

 

結果的に、

6代目古今亭志ん生は誕生することはなかったが、

談志も老いた志ん朝が到達する高みを見たかったのに違いない。

 

 

談志は談志らしい言葉で、志ん朝の死を悼んだのだ。

 

 

志ん朝の芸は、"芸術"だとよく言われる。

そして、志ん朝は"芸人"の中の芸人でもあった。

 

父・志ん生やライバル・談志の芸と同じように、

志ん朝の芸も志ん朝にしかできないものだった。

 

芸は一代。

芸人は、自分だけの芸を。

深セン旅行記

中国第4の都市・深圳。

人口は、30年で30万人から1400万人に成長し、今や中国国内だけでなく世界に冠たる大都市だ。

都市のインフラ整備、デジタル時代に最適化された生活空間、溢れかえるビジネスチャンスなどの理由で、いま世界中から注目されている。

diamond.jp

 

香港から深圳に渡るフェリーの中から見える深圳市内。

まさに摩天楼。

 

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電気街で有名な华强北の中心にあるplaza hotelから見た街並み。

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华强北(Huaqiang)駅の周りが電気街。

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まあ早い話が、ヨドバシカメラみたいなものが乱立している。

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いろいろ取材記事も出ているし、足を運んでみるのが早い。

思ったよりも人が少なく、成長の鈍化を感じる。

 

www.nikkei.com

 

深圳の電子部品たちは、業者、スタートアップ向けなので、

上記記事でいわれている個人消費に当てはまらないかもしれないが、インフラ投資が先行しすぎている気はする。

 

 

 

老街駅の美食街。中国っぽい屋台が並ぶ。

中国の都会人は、あまり屋外で食べないので、東南アジアほど面白くない。

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老街の美食街

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 イカの串焼きとぼくの左腕。

 

コピー商品が所狭しとならぶことで有名な羅湖商業城。

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 コピー商品を値切るのは、アトラクション的楽しさがある。

結局コピー商品は何も買わなかったが、友人がBluetoothのイヤホンを買って帰った。

 

 

最後は、深圳茶葉世界。

下記のブログで紹介されているお姉さんのいるお店。

深圳茶葉世界に中国茶を買いに行く|アジア写真帳(香港)

 

中国茶の店は試飲させてくれるのがめっちゃ面白い。

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今回はビジネス的な調査はあまりできなかったが、
今年はガンガン調査をしに中国へ渡っていこうと思う。

 

Facebookは信用経済圏を作り出せばよかったのにというお話

Facebookが流行り始めたときとき、

ぼくは非常に住みにくい世の中がやってくると思った。

 

実名で自分や他人の行動を世間に晒すような世の中になれば、

ズルや浮気などの全ての悪いことができなくなってしまうのではないか。

ちょっとでも浮名を流そうものなら、ぼくのFacebookにはいろんな写真がタグ付けされて、

「この男はゲス男です。お気をつけください。」

などとコメントされてしまう。

(例えばのオハナシ。)

 

当時高校生だったぼくは、

Facebookが、この先ぼくから奪うであろう甘美な罪の味に想いを馳せながら、

恐怖で夜も眠れなかったことを今でも覚えている。

 

かつての文豪たちのように、世を厭うて山奥でひっそり暮らすしかないのか?

とかくに人の世は住みにくい。

住みにくいぞ人の世!

 

 

 

だが、現実は、そうはならなかった。

 

 

 

Facebookは想像したほど、現実世界に染み出しては来なかった。

もちろん実被害を被った人も少しはいただろう。

たが、SNSで炎上して素顔や本名を晒される事件が注目されるのは、

多くの人は炎上もせずに平穏に暮らしているからだ。

 

 

Facebookは、

人々をオープンすることで、オンライン上のやり取りをより信用に足るものに近づけたかもしれない。

だが、思ったほどにはオフラインの人々の繋がりを生み出すことはできなかった。


 

なぜなら、Facebookはオンラインの経済活動や人々の交流を積極的には生み出さなかったからだ。

会社としても、広告を収益の主体とし、

経済活動がオンライン上で完結してしまった。

 

 

確かに、

ぼくらは、インターネットやSNSのおかげで世界中の人々と繋がれるようにはなった。

でも、だから一体なんだと言うのだろう。

 

SNS上で繋がったインドの友だちを尋ねて、ムンバイの街をガイドしてもらった人がどれだけいるだろう?

SNSで意気投合したブラジルの女の子が欲しがっていた日本限定のワンピースを送ってあげた人がどれだけいるだろう?

 

 

むしろ、21世紀のIT化の流れの中で、世界は、より分断されたようにさえ思える。

 

 

Facebookは、信用できるオンライン交流プラットフォームをかつてない規模で生み出した。

そして、そのオンライン経済圏から莫大な利益を得た。

 

でも、たったそれだけだった。

ぼくとロシアのエカチェリーナちゃんが、現実世界で、物や行為のやり取りすることはなかった。

そして、ぼくが現実世界で行ったあんなことやこんなこと(してないよ?)が、

Facebookに書き込まれる世界はついぞやって来なかった

 

 

 

 

そこで登場したのが、シェアリングエコノミーであり、C to Cサービスだ。

ITの力を使い、オフラインでの人々の交流や、サービス・物のやり取りを生み出した。

車のUber、自転車のmobikeやofo、そしてフリマのメルカリ。

 

www.nikkei.com

 

これまで、IT界の天才たちが、こぞってオフライン / リアルの人々の交流を生み出そうとして失敗してきた。

それを、彼らC to Cサービス企業が、いとも簡単に生み出せたのは、

人々の間にウィンウィンの経済活動が作り出されたからだろう。

 

 

誰かにとって暇な時間やいらない物は、

他の誰かにとっては、お金を出してでも買いたいものになる。

そこに目をつけた彼らは、瞬く間に人と人とを繋げ、とんでもない規模の経済圏を作り上げようとしてる。

このリアルな世界で。

 

 

 

  

その結果何が起こるのか。

そう、人々の信用が可視化される世界が来る。

嘘でもつこうものなら、それがすぐさま情報として反映されて、誰もその人とやり取りをしたくなくなる。

 

wedge.ismedia.jp

 

アリババが提供する、

ネットショッピングやモバイル決済の支払い状況を信用スコアとして可視化するサービスは、

中国ではとてつもない普及を見せている。

 

WeChatのテンセントも、信用スコアを可視化するサービスに乗り出そうとしている。

(うまくいってないらしいが)

www.afpbb.com

 

 

信用スコアの高い人はいろんなサービスを有利に受けられるだけではなく、

出国審査を簡略化出来たりさえする。

逆に、信用スコアの低い人は、交通機関の利用に制限がかかったりする。

中国は、国家として、企業が算定する信用スコアの利用を進めようとしてるのだ。

 

 

そして、アリババとテンセントは、

C to Cサービスを足掛かりとして、オフラインの経済圏にも攻勢を強めている。

 

www.nikkei.com
www.nikkei.com

 

決済情報だけではなく、

現実世界での人々のやり取りでさえ、信用スコアに反映される。 

悪事を働いたものは、その後の生活に様々な支障をきたす。

 

 

便利だが、大変恐ろしい社会である。

 

 

日本でも、

メルカリが、フリマ以外のC to Cサービスを展開すると同時に、

決済サービス・メルペイを展開し始める。

www.nikkei.com

mercan.mercari.com

 

 

 

メルカリがその先に見据えるものは当然、

信用スコアや個人の取引データを基盤とした大経済圏の構築だ。

 

newspicks.com

 

 

メルカリは、C to Cサービスでの取引を自社の決済サービスで行わせることで、

信用スコアを算定する。

そのスコアを他社にも提供することで、信用経済時代のプラットフォームになろうとしている。

 

メルカリで強引な取引をして運営に通報された人には、悪人のタグが付けられる。

当然、その後のサービスは受け難くなる。

メルカリのサービスだけではない。

他の企業のサービスである。

 

メルカリで売ったバッグの写真を加工して、ちょっと汚れを目立たなくしただけなのに?え?

 

 

  

このように監視された世の中に息苦しさを感じる人は、決してぼくだけではあるまい。

 

 

 

念のため言っておくが、

ぼくは、信用経済のコンセプトには、基本的には大賛成だ。

生活の利便性の上昇幅があまりにも大きい。

そして何より、今の資本主義のあり方には納得できない部分が多々ある。

資本を持つものだけが、さらなる資本を手に入れられるゲーム。

資本を持つ悪人が、資本を持たない善良な市民を虐げることができる世界。

これが本当にいい世界だろうか?

やはり、善良に生きてる人が、正当に評価されるべきだと思う。

 

 

メルカリは大好きだし、

訪れるたびに中国のAlipayやWeChat Payの便利さには驚愕している。

(一度大学のプログラムでメルカリの社内見学に伺い、経営陣と議論する機会をいただいた。非常に刺激的な機会だったし、社内も活気にあふれていて大好きになった。)

 

 

 

だが、人間は弱い生き物だ。

誰だって過ちは犯すし、不正もしたくなる。

本人は悪いことしてるつもりはなくても、誰かを傷つけてしまうこともある。

 

例えば、犯罪率の高い地域で生まれ育った子どもたちは、

一般の価値観からすれば良くないことをしてしまうことがあるかもしれない。

そのような人々には、浮上のチャンスは一切与えられないのか?

善悪の価値観は環境に左右されるのに、それを1つの定規で測ってしまうのか?

 

 

基本的には信用評価バンザイだが、

悪事を働いてしまった人にも再起のチャンスを与えることや、

出来心でつい犯してしまった過ちには、情状酌量の余地を残す仕組みを入れ込んで欲しい。

そして、ぼくにもたま〜には悪いことをさせてほしい。笑

 

 

 

 

C to Cサービスによって、

この現実世界がもっと滑らかに繋がれば、私たちはとてつもない利便性を手に入れられる。

信用評価の流れも、もはや止まることはないだろう。

だからこそ、私たち全員が、

本当に住みやすい世界とサービスを作り上げることに参加しなければならない。

 

 

 

最後は、このことわざで締めくくりたい。

「罪を憎んで人を憎まず」

 

もとは、

古之聴訟者、悪其意、不悪其人

(昔の裁判所では訴訟を取り裁くとき、罪人の心情は憎んだが人そのものは憎まなかった)

罪を憎んで人を憎まず - 故事ことわざ辞典

 

漢文だからもうお分かりだろう。笑

そう、かの地が生んだ偉大な思想家・孔子のありがた〜いお言葉。

イギリス旅行記〜ロンドン編〜

ロンドンは今日も曇りだった。

昨日も曇りだった。

明日も曇りなんだろうな。

 

 

 

 

 

まずは宿の近くのビクトリア駅〜ピカデリーサーカスまで。

写真に写っている範囲がロンドンのナウでヤングな中心地。

もう一つの中心地は、ロンドン証券取引所があり、世界的な金融街で知られるシティー。

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バッキンガム宮殿

衛兵交代は見ず。大きい宮殿でござるな。

 

 

 

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ビッグベンは工事中。

2021年までのぼれません。

 

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夜のウェストミンスター寺院

 

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ロンドンで人気のステーキ屋さんSteak&Co.のステーキ

激ウマ。ロンドンのご飯がまずいと言った輩は石の上で焼かれるがよい。

まあいい肉は誰が料理しても美味いという説もある?

 

 

 

 

ロンドン一の繁華街SOHO。歌舞伎町みたいなもの。

怪しいお店はほとんどSOHOにある。

地図では、ピカデリーサーカスの北、4つの駅で囲まれた辺り一帯。

 

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SOHOのチャイナ・タウン
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一歩それると危ない香りが………

 

SOHOの北には、大英博物館や某魔法ファンタジーで有名なキングス・クロス駅がある。

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実際は、9番線と10番線の間には、レンガの柱なんてない。

正確には、9番線と10番線は隣り合ってすらいない。

公式ショップの隣の壁で、それっぽい写真を撮ってくれます。

 

 

 

最後にシティ。

童謡で有名なロンドン橋やロンドン証券取引所をはじめとする金融機関が立ち並ぶ街。

言わずと知れたウォール街、香港、東京と並ぶ世界トップクラスの金融街。

 

余談ですが、東京は、香港に地位を奪われてから巻き返しに必死ですね。

東京駅周辺の再開発は、巻き返し構想の一環。

www.nikkei.com

 

 

まあそれはさておき………

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ロンドン橋

オチないでね?

 

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テムズ川対岸から見たシティの街並み

まだまだ開発中といった感じ。

EU脱退で騒がれているイギリスと大金融街はどうなっていくのか。

 

ロンドン橋の麓、シティ側にあるロンドン塔。

かつての中心的な城。

入ると面白いらしい。

 

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ロンドン塔