僕が研究生活から学んだこと
僕の大学院生活も大詰めを迎えている。
もちろん修論執筆中&プレゼン製作中であるが、3年間の苦しい修行の甲斐あってか思っていた以上にスムーズに進んでいる。
気分転換に僕が研究(生活)から学んだことを整理してみたい。
こんな感じで、この2~3ヶ月は振り返り多目でいこうと思う。
今回は3つ。
1. 将来師匠を越えたければ、何か1つの能力でもいいから若き日に師匠を超えなければならない。
あなたが将来、師匠の現在の年齢になった時に、現在の師匠と同じ能力を身につけていたのでは遅い。
世の中は日々進歩しているのだ。
例えば、あなたが15年後、師匠の現在の年齢である40歳になった時、師匠の40歳時の能力を身につけていても仕方がない。
時代は変わり、もうその能力は古びてしまっている。
しかも、その頃には師匠も進化している。
これでは、まさにアキレスと亀みたいに永遠に追いつけない。
また、若い時の方が、明らかに学習効率が高く、新しいスキルや能力を身につけるには適している。
越えるなら今しかない。
いつか越えたいなぁと思っているのではダメだ。
では、その分野の第一人者である師匠が今持っていない能力として、あなたはどんな能力を身につければいいか。
そこが、あなたの戦略性と独創性が試されているところだ。
そして、その選択があなたのその後の人生を大きく左右する。
しかも、 現代は新しい能力が次々と要求される時代だ。
研究の話を例に取ろう。
昔の研究者ならば、1つ特別な能力を身につけてそれが当たれば、20年は食っていけた。
でも今は違う。
一流の先達が持っていない能力を1つ身につけたところで、5年で古びてしまう。
短ければ2~3年のスパンで、長くとも5~6年のスパンでは自分の能力を棚卸し、今の自分の市場価値を見極めなければならない。
そして、また新しい能力を身につける努力をしなければならない。
厳しい時代だ。
こんなに次々と新しい能力が求められる時代には、ほんの一部の天才を除いて、1つの組織、1つの分野にとどまっていたのでは、難しい気がする。
凡人は座してコツコツ新しいことを勉強するよりも、コロコロと環境を変え、付き合う人間を変えた方が、簡単にどんどん新しい能力が身につく気がする。
まあこの辺の成長戦略の話は長くなるのでまたの機会にしよう。
さらに、この学び1には実はもう1つ大きな理由がある。
それは、
一流は、若き日に一流に見出されて初めて一流になれる
というものだ。
どんな一流も、一流に見出され、育てられて一流になる。
誰にも育てられずに一流になったように見える人もいるかもしれないが、そんな人も必ず他の先達から刺激を受け、背中をみて育ってきた。
一流と付き合い、一流に揉まれて来たはずだ。
そして、一流が、こいつに何かを教えてあげたい、こいつと付き合いたいと思うのは、
自分を越える何か、こいつすげぇなwと素直に思う何かを持っている人間だけだ。
すなわち、
一流になるためには、一流に見出されなければならず、
一流に見出されるためには、一流を越える何かを既に持っていなければならない。
2. 結果は準備でほとんど決まる
あなたが、スポーツの試合や営業のプレゼンに臨む時、最も大切にしていることはなんだろうか。
僕にとってそれは準備だ。
サッカーの試合に出る時、練習で出来なかったプレーが突然できるようになるだろうか。
できるわけがない。
たかだか90分やそこらのサッカーの試合中に爆発的に成長するのはマンガの主人公だけだ。
本番では、あなたが日頃から当たり前のようにできていることしかできない。
これは、サッカーの試合だろうが、コンペのプレゼンだろうが、受験だろうがなんでも同じだ。
当たり前じゃないかと思った人もいるだろう。
いや、むしろ多くの人がお前に言われるほどのことでもないと思っただろう。
確かに、一流のスポーツ選手なんかはみんな口を揃えて準備が大事だ言っている。
イチローや本田圭佑は何度も何度も繰り返し述べている。
しかし、実はこれは、研究、あるいはもっと広く「検証」といえるすべての行動にも同様に当てはまる。
あなたの研究者としての資質はどこに現れるのだろうか。
最新のデータ解析技術を身につけていることだろうか。
結果を論文にまとめ上げる力だろうか。
いや、違う。絶対に。
どんなに最新のデータ解析技術を持っていようと、出てきたデータがイケてなければ、そんなものはなんの役にも立たない。
この場合のデータがイケてないとは、ノイズが大きいことだけではない。(そんなのはレベルの低い話)
あなたが行った実験で得られたデータは、本当にあなたが言いたかったことをサポートしているだろうか。
あなたが主張したいことが、「植物は強い光を当てればよく育つ」のように単純なものなら話は簡単だ。
しかし、だいたいの場合、あなたの言いたいことはもうちょっと複雑なはずである。
1つの実験だけですまない場合も多いだろう。
数十個ということは珍しいだろうが、5、6個になったりすることはざらにあるだろう。
あなたの一連の実験は、まとめて見た時に、論理的に厳密にあなたの主張を裏付けるように設計されているだろうか。
実は、これが一番難しいのだ。
どんなにイケてるデータ解析技術も、行った実験があなたの言いたい主張を裏付ける形になっていなければ、意味をなさない。
論理を曲げることはできないのだ。
データを見た後に、
あれ?そもそもこんなデータじゃ思っていたように解析して、思っていたようにまとめられなくない?
と思っても遅い。
研究者が実験の結果が出た後からできることは想像よりも遥かに少ない。
事前に計画した通りにデータを取ったら、事前に計画した通りの解析を施すだけ。
一度出てしまった結果を後から歪める魔法の杖も錬金術も存在しないのだ。
あなたのリソースは限られている。
お金も時間も。
できるだけ少ない回数の検証で、あなたは自分の主張したいことをクリアに言い切ることができるプロセスを練りきらなければならない。
期限がある場合も多いだろう。
大学院在籍期間、ポストの任期、プロジェクトの期間。
一回の検証にかかる時間と期限を照らし合わせれば、自ずと行える検証の回数は限られてくる。
その中であなたは、全くの過不足なくあなたの主張を裏付けることができるだろうか。
知りたかったことを知ることができるだろうか。
うかつに始めてはならない。
入念な準備と計画。
これがすべてだ。
そして、僕らはみな人生の研究者である。
お金儲けのための試行・検証プロセスはもちろん、勉強、恋愛、体調管理、美味しいお店の探索からうざいセンパイの交わし方に至るまで、
僕らは毎日何かしらの検証を行い、改善をして生きている。
毎日をうかつに始めてしまってはいい検証はできない。
いい検証のないところに進歩はない。
3. 思考するとは身体的行動である
「健全なる精神は健全なる身体に宿る」
という言葉がある。
これは、原文の一部だけが訳されて広まったものらしいが、現代の解釈は、
健全な精神は健全な身体にしか宿らない(そのままやないかーい)
身体が健全でなければ、精神は健全ではなくなる(対偶とっただけ)
というということだ………
もとになった言葉を言ったユウェナリスなる人が本当は何を言いたかったかなんてことはどうでもいい。
僕が主張したいのはまさにこの現代的解釈がいかに正しいかということだ。
僕は大学4年生で研究室に配属されてから大学院2年生の今まで、非常に規則正しい生活を送ってきた。
そして、毎日進捗を生まなければならないプレッシャーに襲われて戦ってきた。
毎日毎日深く考え、自分の思考と向き合ってきた。
そんな毎日でも、必ずしも調子のいい時ばかりではない。
どんな時にぼくは調子がよく、どんな時に調子が悪いのか。
毎日、自分の思考の調子を観察する中で、その規則性に気がついた。
(毎日、就寝・起床時間、食事、および主観的な体と頭の調子を記録している。最近メンタルヘルスも記録し始めた。)
明らかに体調のいい日は思考の調子もいいのだ。
当たり前といえば、当たり前だが、日々経過を観察していて確信を持った。
そして、生活のリズムがよければ、思考のリズムもまた同様にいい。
身体が朝からスムーズに動く時、寝起きにすっと起き上がれる時は、思考も朝からリズミカルだ。
日々思考を進め、昨日よりも今日、深い省察に入って行きたいのであれば、自分のリズムをつかむ必要がある。
漸進したければ、日々リズムよく思考しなければならない。
そして、リズムよく思考したければ、生活リズムを整えるしかない。
思考は身体的なのだ。
思考するのは脳である。
しかし、我々の思考は恐ろしいほどに身体に縛られている。
見るもの、触れるもの、匂うもの、聞くもの。
この手足、この家、この道、この職場。
これらすべては身体を通して僕の思考を規定している。
身長175 cm、体重65 kg(普通ですいません)のこの身体でなければ僕の思考はまた少し違っていたはずだ。
思考パターンを変えたければ、身体を変え、環境を変えなければいけない。
最も簡単なのは生活リズムを変えることだ。
簡単ではないが、住む場所や付き合う人を変えてもいい。
気持ちを新たにしたところで、思考の癖やリズム、パターンは変わらない。
僕は新年の誓いの類は立てないが、そういった誓いを立てたがる人もいる。
でも、彼、彼女の多くが、その誓を果たすことはない。
当たり前だ。
思考パターンが変わっていないのだから。
昨年と同じ思考では、昨年した失敗はまた繰り返されるだけだ。
まずは起きる時間、寝る時間を変えてみる。
生活のリズムや食べるもの変える。
運動をする。
これらで驚くほどに思考は変わっていく。
思考するとは身体的な行動なのだから。
今日はこのへんで。