『史上最強の哲学入門』感想
内田樹著『レビィナスと愛の現象学』を読んでいて、哲学の歴史をもう一度勉強し直す必要があると感じたので、『史上最強の哲学入門』を読んだ。
調べてみると抜群に評判がよかったから読んでみたのだが、まさに「最強の」哲学入門だった。
この本は、個々の哲学者の思想を分かりやすく解説するのにはとどまらない。
この本を読めば、哲学の発展の歴史が手に取るように分かる。
なぜか。
それは、この本が、マンガ『刃牙』シリーズのように、「最強を求める人間」の格闘の歴史として哲学を描いているからだ。
強さと強さをぶつけ合い、最強を目指して、考え、考え、考え続けて来た人々の歴史、それが「哲学」なのである。
そして、この本が何よりもスゴいのは、天才たちの闘いを通じて、「哲学」が決して彼ら天才だけのものではないことを気づかせてくれるところにある。
「なぜ私は生まれてきたのか」「なぜ人は生きなければならないのか」「なぜ我々は人を愛するのか」「なぜ私は一人では生きていけないのか」「なぜ我々は争うのか」「なぜ人を殺してはならないのか」「なぜ我々は学ぶのか」「果たして人類はどこへ行くのか」………
人は誰しも哲学者だ。
我々が日々感じる疑問、あなたが人生に対して、あるいは世界に対して問いかける問の数々。
その問に人生をかけて挑んだ人たちがいると聞けば、あなたは彼らの意見に耳を傾けたくなるだろうし、議論してみたくなるに違いない。
時には批判し、時には賛同し、時にはブチギレたり、時には賞賛を送りたくなるかもしれない。
だが間違いなく、心の底から彼らを応援したくなるだろう。
そして、気がつけばあなたは、息を凝らしてその闘いを見つめ、手に汗を握りしめているはずだ。
分かりやすい本は、その根底に一つのストーリーが流れているものだ。
ストーリーがある本は、例え一つ一つの話が難しい哲学理論であったとしても、すんなりと頭に入ってくる。
結局、人間はストーリーでしかものごとを理解できない生き物なのである。
人工知能と人間の違いを勉強して思うのがまさにそのことだ。
物事をストーリーとして認識しようとすることは、まさに人間の強みでもあり、弱みでもあるのである。
この本の中には、
強い論の追求に人生すべてを費やした人間たち
が次から次へと登場する。
人間にとっての根本的な問いかけに答えるスゴい人が現れたと思ったら、その人の論をさらに発展させたり、あるいは真っ向から否定するスゴい人が現れる。
と、思ったら、またその人の論を………
の繰り返しだ。
え?そんな根本的な問立てます?
え?そこまで考える?
え?さっきのが答えだと思ったらまだ反論があるの?
え?いや、ここまで来て「そもそも」ってあんた……
え?待って、どこまでいくの?
の連続である。
スゴい、あ〜スゴい、え〜スゴ〜い、おおスゴい、スゴい、スゴッッッ、スんゴっ、スゴ〜いスゴいスゴぃぃぃぃぃぃいいい!!!あぁぁぁぁぁぁあああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛&”k#*?>P)|=!#$||#>SOI)=#<$%C?4P)3.d9!!!!!!!!
と言っているうちに全部読み終わっていることだろう。
まさにやり過ぎだ。
そう、問いすぎ、考えすぎてきた、それが人類の叡智の歴史なのである。
だが、これからもまだ人類の探求は終わらない。
地獄だ、無限地獄だ。
我々は、どこまでも続く辛く苦しい孤独の旅路についている。
この本は、そんな「当たり前のこと」を、実に暴力的かつ鋭利に我々の眼前に突きつけてくる、とてつもなく「エグい」本である。
では、そもそも、なぜ我々はそんなに考え続けるのだろう。
何がしたいのだろう。そこまでして何が楽しく、何が嬉しいのだろう。
その問に対する論を私が唱えれば、いつの日か私自身がそれを否定し、あるいはまた他の誰かが反論を行い、さらにその答えを批判する誰かが登場し………
終わらないのだ、永遠に。
我々人間が「疑問」を感じる限り。